どうしたらいい?と聞かれて(中島)
自分でもわけのわからないことで涙が溢れてしまうことがあります。
眠れないことが不安で、余計に眠れなくなるように、泣いてしまうことが不安で、余計に泣いてしまうことがあります。
「なんでこんなことで泣いているんだろう?」という涙が溢れて止まらないことがあります。
「なんでこんなことで泣いているんだろう?」
と思いつつ、たしかに、そこには「こわい」という感覚(感情というよりは感覚)が存在していて、だから、泣いてしまうのですが、
「しょうがない、なんかよくわからないけど、わたしいまこわいらしいから、ほっといて泣かせとこう」
とはなれないのが、泣いているときのわたしです。当たり前ではありますが、冷静ではないのです。
一晩経って、「なんであんなことで泣いていたんだろう(笑)」と、けろっとしてしまうことがほとんどです。できることなら、泣いてしまってもすぐにけろっとしたいし、もちろん、できることなら、泣きたくないです。
だって!疲れる!
(わたし、泣くとき、ちゃんと「ええええん(泣)」って、声をあげて泣くんです。「ひっく、ひっく、ぶええええん(泣)」って、マンガみたいに泣くんです。疲れるに決まってます!)
冷静でない自分の隣に、冷静な自分がいてくれたら、それがいちばんいいのですが、それがうまくいかないから困っているわけで、冷静でない自分の隣にいてくれるひとがいても、わたしはいつも「ごめんね、勝手に泣いて、こんなことで泣いて、ごめんね、わたしのせいだから、ごめんね(泣)」と余計に泣くことしかできませんでした。
ある日、冷静でないわたしは、隣にいるひとに、ぽつりと、「どうしたらいい?」とたずねられました。
・・・・
たしかに。
わたしが泣いているとき、わたし以外の誰かにどうしてほしいなんて、考えたこともなかった。
もちろん、誰かに傷つけられて、それが悲しくて泣いているのだったら、傷を癒してほしいとか、ごめんなさいをしてほしいとか、いろいろ、してほしいことはあるかもしれないけれど、
わたしが、勝手に悲しくなって、勝手に傷ついて、わけもわからず泣いているとき、隣のひとに、どうしてほしいのだろう?
わたしは考えました。
「しょうがない、なんかよくわからないけど、このひといまこわいらしいから、ほっといて泣かせとこう」
これでした。
冷静ではないわたしは、隣のひとに、冷静なわたしの代わりをしてもらいたいのでした。
よくわからないことで、めちゃくちゃわかりやすいことで泣く、そんなわたしを、笑ってもらいたいのでした。
そうしたら、わたしも、気づける。これは、こんなにたいしたことではないのだと。
「どうしたらいい?」と聞かれたそのときは、いつものごとく、冷静ではなかったので、答えられませんでしたが、いまなら答えられます。
わたしが、わけもわからず泣いていたら、ほっといて泣かせておいてください。
にこにこしたり、にやにやしながら、なでたり、さすったりしながら、「なんで泣いてるんだよう(笑)」って、聞いてください。
すみません。よろしくです。
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