舞台監督 髙野真菜
作・演出のおぺちゃんへ
全くというほどかかわりがなかったよね。強いて言うと去年7月の舞監補と運営、とかそういう感じか。
劇に関しては、私がすごく一方的に見に行っているなあと思う。まあお互い忙しいんだし仕方ないよね。
それでまあ、手紙を書いてくれという案件だけど、特に敬語もなくこんな感じで書く。同期だし。
手紙と言えばさ、昔舞監のチーフ(※舞台監督という現場全体の進行をする役職の一番上。公演の責任が全部来る)やったときに
舞監セクションの人たちにすごいお世話になってさ、手紙書いて渡したことあったんだけど、結局その手紙の答えとか返ってきてなくてさ。
もはやみんな気づいてないんだろうなってレベルで。語られないものは存在すら出来ない。
はは。これも一方通行だったんだろうなって思うよ。まあ世の中報われないことの方が多いんだよね。
そういやこの前の通し(※通し稽古の事。シーンを最初から最後まで通す)見たとき、片思いばかりしてきた自分の人生を思い返して、苦しかったよ。おかしいよな。
お話しの二人は確かにお互いを大事にしているはずなのに。お互いを思っているはずなのに。
勝手に自分を思い返したのはどうしてなんだろう。私なんて勝手に両思いだなんて勘違いしてさ。
そんなわけないのに。
ああそういや舞監の話、まあ舞監って片思いがうまい人が一番よくできる仕事だと思っていて、だってあれは無償の愛以外の何でもないわけだよ。
一番犠牲になるのは自分だからね。でも自分を犠牲にしてでも誰かのために働くって人が舞監をやるもんだと思ってる。
これは後輩を見ていても思うよ。物一倍ファッションにならないし出来ないポジション。だから舞監をやってるのはカッコいいことだって思ってるだけの人間には到底務まらないよな、とすごい思ってる。
舞監の話するとさ、すごいこだわりの話が出てきちゃって、本当に長文になってしまうからこれ以上はあんまり言わないけども、でもやっぱり人には譲れないものがあって、例えばそれを継いでくれる人が出てきたときにはやっぱり大事にしたいし、そうでない人を少し距離を置いてしまうのも仕方ないと私は思ってしまうタイプで、踏みにじられて許せないのも、おそらく舞台監督という仕事が大事だと思うからなんだなあって思うよ。
おぺちゃんはどうしても譲れないものってある?
そろそろ終わりにするよ。対等な関係でいられれば良かったんだけどね。世の中は難しいね。
じゃあね。
追伸 私は舞台監督としていられることを誇りに思うよ。小屋入り7日間どうぞよろしく。
舞台監督のれいとより
れいとさんへ
お手紙ありがとう!
関わりあるようでなかった、ないようであったれいとさんと、三年代になってこうやっていま小屋入りできて、わたしもうれしいです。そしていつも見に来てくれてありがとう。今回はいちばん側で見守ってもらえるね。うれしいです。
舞台監督と片思いのお話、ありがとう。なんだか、いいんだか悪いんだか、とっても納得してしまった。
でも、もしかしたら、両片思いなのかもしれないよ。
わたしは、いわゆる「ハード面」と呼ばれるものが、とっても苦手で、だからこそ、ばりばり仕事をこなしてくれる舞台監督さんをいつも尊敬の眼差しで見つめているのだけど、それって、もしかして、伝わってないかな、、??
それこそ、作・演出とか、役者とか、自分が気持ちよく「なるため」にやってしまいそうになるときがあるから、わたし自身、いつも気をつけたいな、と思っているんだけど、結果的に、やっぱり気持ちよく「なってしまう」ことがあって、振り返ると、そういときの気持ちよさってほとんど自分の力じゃないんだよね。
特に、舞台監督さんの無償の愛。わたしたちのために、いつもほんとうにありがとう。れいとさんをはじめ、この世のすべての舞台監督さん。
わたしたち、もっと舞台監督さんに感謝を伝えるべきだね。両思いがいいもんね。ありがとう。ありがとう。
譲れないものかあ。譲れない考え方はあるかも。作・演出のお話を引っぱると、自覚を持って「自分のためにやる」ことかな。
作・演出が自分を持っていないと、それこそ、わたしたちのために動いてくれる役者の皆さん、他のスタッフの皆さんに、失礼だなあって思っていて。
自覚を持って「自分のためにやる」ことが、まわりまわって、やっと「誰かのためにやる」ことになるのかなあって思っていて。
、、、どうだろう??
投げちゃいました。れいとさんは作・演出をすることもあるよね。よかったらこのお話もできたらうれしいな。
こちらこそ、小屋入りよろしくね!
というより、引き続きよろしくね!
感謝を感じたそのときに感謝をすることにするね。いつもありがとう。
作・演出 おぺ
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